2006年ベネチア国際映画祭金獅子賞グランプリを受賞した、ジャ・ジャンクー監督の最新作、『長江哀歌』の試写会に行ってきた。
何とも感想の書きにくい映画だ。「どんなに世界が変わろうと、人は精一杯に生き続ける。」 という宣伝文句に間違いはない。しかし、そこに見えるのは力強い生でもなければ、生命力溢れる人間の営みそのものでもないように思える。ただ長江のあまりにもゆったりとした流れや、雲に霞む薄ぼんやりした景観と同じように、バックグラウンドに溶け込んでしまっているばかりで、何一つ表面にしっかり浮かび上がってくるものがないように思えた。つまりは、喩えようもなく地味なのだ。ベネチアの金獅子賞受賞作は、決してアメリカ人が見ようとはしない種類の映画だとよく言われるが、まさにその通り。エンターテインメント性の対極にある作品といえる。もちろん、ある程度は予想していたことだが。
北京オリンピックを控えた同じ国とは思えないほどの、山峡周辺地域の圧倒的な貧しさ、圧倒的な汚さ、いったいいつの時代の話なのかといぶかしくなるが、これは紛れもなく現代。携帯電話も登場するし、ディズニーのMICKEYのロゴを剽窃したMICREYというロゴのTシャツも見える。出てくる男たちは皆上半身裸。いたるところにタバコの煙。こともなげに喫煙する少年。何か、見たくないものばかり見せられる気がする。物語性は無いに等しい。それぞれのエピソードの結末は決して語られず、すべては観客の想像に任されて宙吊りのままだ。原因はわからず、事実だけが提示され、結末もわからない、といった具合だ。これを心地よいと思える人は、この映画が好きになるだろうが、これではドキュメンタリーと変わらない、どこにフィクションの要素があるのだろうと、私は思ってしまった。
「酒」「タバコ」といったキーワードで、場面が切り替わるのは面白かったし、映像の色調も嫌いではないし、最後に、より高い賃金を求めて危険な仕事に就くべく、淡々と山西省へと旅立つ男たちの、その屈託のなさには感慨を覚えたが、それだけでは、私にとってこの映画を魅力的に思わせる要素にはなりえなかった。
一番不可解だったのは、ロケットのように飛び立つ建造物のシーン。前後関係からして幻想というには唐突すぎるのだが、あれはいったい何だったのだろう。
(2007.7.28 科学技術館サイエンスホール にて)